「看板屋の感性」
昔は「看板屋」が楽しかった
自分が書いた看板が、どこそこに揚がった
それを見に行くことが喜びであった、
ネオン工事を苦労してやり遂げて
点灯した時の何ともいえない満足感、
さて、今、喜びや楽しさが・・・・・
確かに作る喜びや書く楽しさは、残念ながら
薄く、小さくなった
だとしたら、何に喜びや楽しみを求めるか
今だって、自分がデザインした看板が街角に取り付けてある
その喜びは確かにあるのですが
パソコンを通して、キーボードとマウスで仕上げたデザイン
みんなが、みんな同じ道具で進めてゆく仕事
どこに優劣があるか
感性、頭の中のイメージ
そのあたりが勝負でしょうか
愚痴のような思いは私自身の鮮度が
自分の仕事にかける鮮度が失われることのないよう
常に、今が「旬」の感性を
日々研鑽してゆくことだろうと思います、
日々研鑽って言うが・・・・・むずかしいことです
でも、私は看板屋
瑞々しい感性で
仕事をしてゆくぞ!!
☆
☆